太極武藝館


門下生の声


森田 尚希

 Naoki Morita
玄門會所属
1969年 奈良県生れ
1999年5月 入門
芦原空手などの日本の武道を遍歴。
また、中国に留学中には、関永年老師に李存義派の
形意拳を学ぶ。



他門派で様々な武術を経験され、また、中国留学中に一流の老師について、一流の形意拳を学んでこられた森田さんが、どのような想いで太極武藝館に入門されたのかをお聞きしました。
森田さんは、師父から非常に信頼を寄せられており、師父ご自身が「常にすぐ側にその存在を感じる」と仰る希少な門人のひとりであり、また中国関係にも精通している事から、今後も師父の右腕として師父の「大きな仕事(ワーク)」のための大きな力になっていく人であることが感じられます。
このインタヴューは、武藝館事務局での忙しい仕事の合間を縫って、短時間で行われました。



編集部:
こんにちは。今日はご苦労様です。早速のインタビューですが、
太極武藝館に入門して、師父と陳氏太極拳に出会って、どのような事を感じたでしょうか?



森田:
 ひとつは、この日本で確かな中国武術が存在している、ということをきちんと見せてもらえる。
そして、それをトータルに学び、稽古させてもらえるということです。
 もうひとつは、例えば、その門派や武道の先生に、たとえいろいろな技術が有るにしても、それがこういうものだと、明確に教えられる所は非常に稀なんですが、師父はそれをきちんと我々に見せてくれて、各人のレベルによってその秘密を公開し、内容も、理解しやすく噛み砕いて、解り易く教授されていると思うんです。
 それが他の門派とまったく違うところである、と感じています。


編集部:
稽古方法なども、やっぱり中国で教えて頂いていたことと、こちらとでは違うのでしょうか?


森田:
 北京で形意拳を習った時には、生徒が十数人だったと思いますけども、たとえば力の使い方とか、体の使い方というよりは、まず「套路」ですね。
 その他は、一個一個の技のやり方を表面的に、手順とか動かし方をまず覚えなさいということで、みんな並んで、1、2、3、4、という感じでした。


編集部:
もしそこで形意拳を長年やっていたとしたら、すごい物を発見できたのではないか、というのは、
振り返ってみてどうですか?


森田:
客観的に同じ用途としての比較は出来ないですけども。
私が思うのは、武術を習うんだったら、たとえば師父がいて、形意拳を習った先生がいて、比較といっては大変失礼な話ですが、心情的にも、我と我が身で体験した技術に対する感動や畏怖心から言っても、円山洋玄師父に習ったほうが、絶対にすばらしい物が身に付くのではないかと感じます。
それはもう、直感です。理屈じゃないですね。


編集部:
森田さんが初めて武術をやりたいとか、出会ったというのは小学生の頃だったとか・・?


森田:
目にしたというレベルでいうと、小学生の時に空手を教えている道場があって、ちょっと見たことはありますね。
ただ、自分が興味を持ってこれを習いたいと思ったのは、高校生の時ですね。
高校になって、空手部に入って、寸止め空手でしたけども、一応空手の片鱗というか、こんなものなんだなあと、少しかじるところから入って、それから直接当てるフルコンタクト空手に入って・・。
それでもやっぱり、自分は身長が172cmなので、筋力をつけても上には伸びないですから、どうしても体力で負ける部分があるので、そうではない世界があるだろうな、あったら楽しいだろうな、という気持ちから「中国武術」が出てきたんです。


編集部:
中国語を勉強しながら、その片隅には中国武術っていうのが・・


森田:
大いにありましたね。
今まで中国武術に対する情報というのは無かったんですけども、とりあえず雑誌の写真などに出てくる中で、陳発科先生がお弟子さんを飛ばしている写真があったんです。
本当にそんなものがあるのかなあって、自分は経験したこともないし、見たこともなかったですから、そういう神秘性というか・・・
ものすごく印象が強かったですね。今でもその写真のイメージが残ってます。


編集部:
中国の先生に「自分を飛ばしてください」とムリヤリお願いしたということですけれども、やっぱり、自分で体験して納得したかったということなのでしょうか・・・? 


森田:
納得したいというか、あの時は、有るか無いか分かってないし、もしかしたらマヤカシかもしれない、まずは体験しないと・・という感じですね。


編集部:
これからも、ずっと師父の許で陳氏太極拳を学んでいきたいと思いますか。


森田:
それはもちろんです。
この人生の中で、別の先生にあらためて中国功夫を習おうかというのは多分あり得ない。
だから、陳氏太極拳というか、師父が教えて下さることを、ひとつでも多く吸収できたらいいなと思っています。


編集部:
この出会いも、何かご縁があったんでしょうね。


森田:
そう思いますね。
私は中国に行っていたとき、もう日本に帰ってくるつもりはなかったんですけど、帰ってきて、何故か静岡に来るご縁があって、それに、オーストラリアに居られた師父も何故か静岡に来られて・・・
非常に、不思議なご縁といいますか・・・
そのようなものを感じています。


編集部:
ここの道場はご自分で探されて?


森田:
道場の紹介が、何かの武術雑誌に載っていたんです。
その時、掛川にあると知って、正直その時には陳氏太極拳っていうのは、それこそ徐紀さんなどの情報しかなくて、どういう物かわからない、ということがあったんです。
でも、インスピレーションというか、感じる物があったとしか言いようがないですね。
それと、老架式と新架式があるのも知っていたので、新架式・小架式は珍しいというのもあって、一度電話してみようかなと思ったんです。


編集部:
ここに見学に来られて、その場で入門を決められたと伺っていますが。


森田:
そうですね。
道場に来た時間が少し早かったので、「見学に来ました」とご挨拶をして、そのまま道場の中に入れて頂いたんです。
師父が門人の方に「単刀」を指導されている姿を見て、「あ、これは本物だ!」と思いましたね。
比較対照する資料はなかったのですが、見て、ピンと感じる物があったんです。
その後、稽古が開始され、門下生の皆さんが稽古をしているのを見て、再び「やはりこれは本物だ」と確信しました。


編集部:
森田さんが初めて見学に来られた時には、きちんとしたスーツ姿で、ネクタイを締めて、こちらで椅子をご用意してお勧めしたんですが、それをお使いにならずに、稽古の間中ずっと、5時間も直立されたままで見学をされていたのを思い出します。
師父は、今でもその時のことを、折に触れて、皆によく話されています。
森田君みたいな見学者は、後にも先にも、他には居ないだろうね・・と。
森田さんは、そこで運命的な出会いをした、というわけですね?


森田:
そうですね。
やっぱり、何て言うか、私は仕事の都合でどうしても稽古に来られない時があるんですが、そういう時が続いてしまうと、当然、生活の中から「意識する」ということが減ってくるんです。
でも、やっぱり、これは捨てられない。何だか、だめ押しされている自分がある。
・ ・・そういった感じですね。
そういう意味でも、これがひとつの巡り会いであることと、師父との大きな運命を感じます。


編集部:
本日は貴重なお時間を、本当にありがとうございました。
また、武藝館の「中国班責任者」としてのご活躍も、大いに期待しています。

(了)

(2005年3月27日掲載)

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